2004年04月13日

砂の器

テレビとの比較というわけでもないのだが、ネットを見ていて映画派があまりにも感動的だと言っていたので、ビデオで借りてきて見てみた。おおよそ結末というか、推理小説としては犯人がわかっているので、推理の面白さというのはまるで無かったわけだが(もっともテレビでも最初から犯人を特定しているので特にどうとういうことでもないが)、もともと人間ドラマとして捉えていたのでどのように映画化したのかというのだけが興味の対象であった。

時代背景や登場人物に多少の違いはあるものの、作り方としては同じような感じである。というよりもむしろ、テレビドラマの方がかなり映画を意識したリメイクであるというのがわかり、いつの間にか砂の器というのは親子の放浪シーンがひとつの定番になってしまっていたのだなと改めて感じた。ということで見た感想としては、なんとも後味が複雑である。映画そのものの出来というよりは、なぜ親子が放浪しなければならなかったのか、あるいはなぜ犯人が恩人を殺さなければならなかったのかというのが、非常にわかりづらい。もともと映画の方は刑事がわずかな手がかりから、犯人を特定していくというドラマなのであるが、テーマにあるものは犯人の父親の病気によってもたらされた幼少期の過酷な体験、あるいは隠しておきたい過去と言った外部の人間にはわかりづらい設定なのである。というのもこの小説の背景にはハンセン病というのがあり、これは当時の政府の間違った政策によって患者が非人間的な扱いを受け、今でもそれが尾を引いているというのは先日黒川温泉の宿泊拒否問題というのでも露出しているが、いかんせんどれほど排斥されていたのかというのが、今では非常にわかりづらい。強いていえば鳥インフルエンザの鳥たちをかくまっているとか、エイズになってしまったとか、ある意味そういう感じなんだが、そもそも今の時代では到底理解しがたいものがある。

もちろん、当時それによって考えさせようというメッセージがあったのかもしれないが、ただその過去が殺人に結びつくというのは、相当犯人に感情移入しなければ動機としてはかなり希薄なものに感じてしまう。ただ、幼少期のその阻害された状況、忌み嫌われながら放浪を続けなければならなかったというのは、同情を感じるところが強くて、多くの人が言っているように、この部分での加藤嘉の演技は光っている。ある意味この人がいなかったら成り立たない映画だと思うし、ここまでの感動させるものは無かっただろうと思う。

ただ時代的なものもあり、また社会的な問題もあることからテレビでは犯人の父親を大量殺人の犯罪者として描いていたが、こうなると話としては全然別個のものになる。むしろその方が、過去を知られたらまずいという犯人の心情が理解しやすい気もするのだが、逆に映画で描いたような放浪生活は逃避行ということになり、これは目立つ海岸線を歩いたりするのは不自然になってしまう。その辺は映画の踏襲というかお約束なので外せないというのもあったのだろうが、迫害された父親と一緒の旅と殺人容疑者の父親と一緒の旅では、おのずと捉え方が違ってきてしまう。

2時間半という決して短くない映画ではあるが、どうしてもその辺の心理描写までを描くには時間が短すぎ、見終わってから若干の空虚感みたいなものや、やりきれなさみたいなものも感じるが、総じていい映画なのではないかとは思う。音楽はテレビの方が良かったかな。

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