2004年06月05日

長崎小6女児殺害事件

社会を震撼させた、また子供による事件だが、長崎では以前にも少年犯罪があったので、県の教育委員会には殺人者を作る教育をしているのかという、半ば八つ当たりとも言うべき苦情までもが寄せられているらしい。
犯罪動機がネットの掲示板に悪口を書かれたからという、非常に寂しくなるものであるが、殺し方をドラマや映画にヒントを得たりして、なかなか計画的であったりもする。こう言う場合、大抵事件の原因を追究して識者があれやこれや言うのだが、所詮は子供の喧嘩である。親や学校の教育云々というけれど、思春期になれば親の言うことなんか聞かないし、学校だって生徒全員を把握することなど無理に決まっている。そもそも教員が率先して世間を騒がす事件をやたら起こすご時世だから、先生などあてになったものではない。

それはともかく、今回はインターネットや映画・ドラマというバーチャル世界が悪者ということらしい。掲示板の書き込みは何でも言いやすいからだとか、ストレートに感情に入ってくるからだとか言うけれど、毎日学校で会っているんだから何かあったら話し合えばいいじゃないかと思うのである。
被害者と加害者は元々は仲が良かったということだが、どうも内実は違っていたのかもしれない。しかし、多少頭に来たからと言ってすぐに殺したいと思う発想は、インターネットがどうとか以前の問題だろう。ただインターネットによって、世代間の壁がどちらかというと悪い意味であまり無くなっているようにも思う。

2ちゃんねるなどの掲示板を見ていると、書いているのが大人なのか子供なのか、その文体だけではほとんどわからない。大人の真似を子供がするのはまだ可愛げがあるが、どうも大人のレベルが小学生・中学生並みになっているのではないかと少々不安でもある(これはあくまで文体だけを見た話だが)。
もともと大人になったら殺人に理由があり、子供は理解できないというのも大人の勝手な理屈であるから、子供のことをどうこう言う前に大人が考える必要があるのかもしれない。

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Comment on "長崎小6女児殺害事件"

膨大なる情報の中に私たちは生きていて、情報だけは頭でっかちになるほどあるのに実体験はほんとに僅か。
今はほんとに子どもが育つには厳しい環境なんだと思う。
昔なら自然と身に付く事がいまはわざわざお金を出さないといけないし、汚い事、醜いこと、危ない事、大人が排除してしまう傾向にある。
こうするとどうなるのかって。。想像力も乏しい。
苦労とかめんどくさいこととかがほんとは一番重要なんじゃないかって思う。
これからまた増えそうだよね。。
恐ろしいけど、このままじゃいかんよね。わたしも一人の大人として親として、深く考えさせられた事件でした。

  •   りんこ
  • 2004年06月06日 19:00

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